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09/10全日本ボブスレー・スケルトン選手権大会第6位。23歳 近藤圭佑

1986年3月 埼玉県生まれ。オリンピックに憧れ中学時代から体操をはじめたが、
18歳でスケルトンに転向。06年に全日本スケルトンナショナルチーム入り。
08年JOCオリンピック強化指定選手、ジュニア(23歳以下)日本チャンピオン。
09年全日本ボブスレー・スケルトン選手権大会第6位。
現在、埼玉大学、研究補助。2014年ソチ冬季オリンピック出場を目指して練習に取り組んでいる。

オリンピックへの憧れは、小学校の図書館で出会った1冊の写真集でした。

▼ オリンピックに出場したいと思ったきっかけは?

小学校時代にオリンピック選手の写真集を見て「体操競技の選手ってかっこいいな」と思ったことが始まりでした。小さい男の子って「バク転」と「バク宙」に憧れることも多いと思うのですが、自分もその一人だったわけです。 図書館に何度も通って、その写真集を見て、中学に入ったら体操を始めようと決めました。

それから、オリンピックはトップアスリートしか出られないすごい場所だという話を周りから聞いて、「オリンピックってすごい」、「自分もオリンピックに出よう」と思ったのが、小学校の高学年の頃です。そして中学に入り部活で体操を始めました。アテネや北京でメダルを獲れる日本の体操はやっぱりすごく強いですよね。彼らの中には幼稚園くらいから競技を始めている人が多く、私のように中学の部活で始めるのはかなり遅い方でした。

努力をしても1年や2年では成果がついてくるような競技ではないのですが、オリンピックに出たいという気持ちが強かったので練習を頑張って、市の大会で個人総合2位まで入ることができるようになりました。それが、自分の自信につながりました。決してセンスがあったわけではないと思いますが一生懸命頑張ってエースになることができました。しかしそのときに部活だけでは駄目だと思い、埼玉栄のクラブチームにも通って練習を始めました。 そのおかげで、中学三年生のときに「全国少年少女体操交歓大会」に出させていただいて、メンバーの一員として全国団体優勝することができたんです。その後、インターハイで優勝争いをしている埼玉栄高校に入学して、「体操でオリンピックを目指そう」と思ったのが16歳の時です。高校の体操部に入ってからも練習を頑張っていたのですが、強豪校ということもあり、色々なしがらみや上下関係があったりして練習の成果が思うように出ませんでした。怪我なども重なって、一度も全国大会やインターハイに出場することができず、悔しい思いをしました。そのとき一緒に練習していた強い選手たちの中には、北京オリンピックで銀メダルをとった坂本功貴選手もいました。

「どうしてもオリンピックに出たい」という思いが、競技転向させた。

▼ 体操からスケルトンへの競技転向はどうしてですか?

正直、高校での自分のレベルが上がらず、大学入学の際、体操を続けようかどうかずいぶん迷いました。しかし「どうしてもオリンピックに出たい」という思いが強く、どうすれば出場できるのかと考えあぐねていた18歳の時、新聞で4~5人のマイナー競技選手の特集を見つけたんです。「20歳で競技を転向してオリンピックを目指した」という記事を読んで、競技を転向してでも目指さなければオリンピックには出られないと決意しました。

ちょうどソルトレイクオリンピックが終わった後で、スケルトンで越和宏選手というすごい選手がいたな、と思い出して調べてみたんです。 越選手の本を読んで興味を持ち、競技内容を勉強し始めました。それが僕のスケルトンとの出会いでした。

また、高校で怪我に苦しんだ頃、健康面で栄養管理の大切さに気づき、大学に進学したら「スポーツ栄養学」の勉強をしたいと思い、 いろいろ探して見つけたのが仙台大学でした。スポーツ栄養学を学べて栄養士の免許が取れるという「運動栄養学科」に入学しました。 越さんをはじめとする同じ競技の先輩方も仙台大学出身で、学内にはボブスレー・スケルトン部がありました。 仙台大学なら、自分のやりたい勉強もできるしスケルトンもできる。マイナー競技で再出発しようと決断できた嬉しい偶然でした。

▼ 越さんとの出会いは?

越さんに初めてお会いしたのは、大学1年生の冬に初めて長野に行って、「僕にいろいろ教えてください!」と自分から話しかけた時ですね。 体操が大好きだったので、やはりスケルトンに競技転向したのは大きな決断でした。 1年目から「もう失敗できない」というかなりの覚悟で、自分にプラスになることは何でもやっていこうという決意で取り組みました。 そういう気持ちがあったから、経験のない私でも臆することなく越さんに話しかけることもできたのだと思います。 オリンピックに出たいという熱い気持ちだけで、無理やりにでも体をついていかせようとしていた頃でした。

しかしスケルトン1年目の全日本選手権の結果は予選落ち。決勝の20名にも残れず、悔しくて涙を流しました。オリンピックに出るための競技転向だったのに自分は何をやっているのだろうと思いました。 その頃から自分で練習メニューを考えるようになり、もちろん栄養の勉強もしっかりして、自分なりに予測を立てたトレーニングをしていくようになりました。 すると2年目で、その年の全日本選手権で一気に7位になれたのです。当時A代表という成人男子のナショナルチームと、世界ジュニア選手権に出場する23歳以下の若者のチームがあったのですが、 2年目の結果を評価されて一気にナショナルチームに入ることができ、3年目には日本代表の選手として海外の大会に出場できるようになりました。

▼ 3年で日本代表になれるなんて凄いですよね。

初めて海外の大会に出場したときは、「この競技の日本代表になれた」という喜びが大きかったです。 連盟や協会の有望選手や強化選手に選ばれ、その期待に応えるべくより良い結果を出さなければという思いが強くなってきました。 海外を周るようになってより大きな舞台を知り、今はとてもポジティブな気持ちでいます。 前年度までは不安もありましたが、海外遠征の1ヶ月の間に集中し、自分と向き合うことができたので「スケルトンの楽しさ」と素直に向き合うことができました。

はじめは周りの選手を意識しすぎていましたが、次第に自分のベストタイムとの戦いなのだと気がつきました。 越さんや今回のオリンピック出場選手との実力の差をはっきりと感じ、気持ちは4年後を向いています。

マイナー競技の現状と選手の思いを知ってほしいです。

次のソチオリンピックを目指すという気持ちが固まったときに、自分の生きる道が定まったと強く感じました。 マイナー競技は、国や協会からの資金援助はほとんどなく、海外遠征するにも多額の自己負担が必要で、選手には金銭的な負担が非常にかかります。 普段の練習に加え、遠征費用を工面するためのアルバイトとの両立で生活は安定せず、将来への不安もあります。 しかし僕は、それでも競技を続けていこうと覚悟を決めています。

スケルトンにとってソリはすごく大事なマテリアルで、1台60万円くらいします。これまでは、先輩からの借り物の硬い鉄板のソリで試合に臨んでいました。 海外のソリは高くて手が届かず、どうしようかと悩んでいるとき、越さんが「自分のソリを買うまで貸してあげるよ」と言ってくださって、3年間お借りしていました。今年、越さんから「全日本の代表になったのなら、自分のソリを持たないと駄目だ」と助言を受け、やっとの思いで初めて自分のソリを購入しました。最初は新しいソリに慣れなかったのですが、国際大会で入賞も出来て、全日本でも良い結果が残せました。自分の手足となるソリを手に入れて、世界で戦う意味で1人の競技者として初めてスタートラインに立てました。無理をしてでも自分のソリを買わなければならないと教えてくれた越さんには、本当に感謝しています。

130キロを超えるスピードで競技するスケルトンでは、ソリのメンテナンスは選手の生死に関わる重要な問題です。 ただそのメンテナンスには特別な技術が必要なので自分で修理することも出来ず、お金もかかります。そこで埼玉の実家近くにある鉄工所を訪ねて事情を話したところ、工場の方のご好意で何度も無償で修理してもらい、大事な相棒の面倒を見てもらって大きな助けとなっています。

支えてくれる人との出会いや周りの友人達の応援は、心強いです。

僕がこうしてスケルトン競技を継続できるのは、たくさんの人に支えられているからだと強く感じています。両親には、学生時代、生活費や資金面の面倒を見てもらい、負担を掛けていた時期もあったのでとても感謝しています。今年は私の力不足でヨーロッパへの参戦は叶わなかったのですが、HDPのスポンサー企業様や支援していただいている方々の援助が無ければ 海外を周ることも出来ませんでした。改めて感謝の気持ちでいっぱいです。支えてくれる人との出会いや周りの友人達の応援もあって、ものすごく心強いです。

スポーツというのは、スポーツでしか得られない感動があると思います。だからこそオリンピックで世界が熱狂するのであって、ひたむきに一生懸命努力する選手の生き方やパラリンピックで障害を持つ人が 頑張っている姿を見て世界中の人が勇気付けられます。自国の選手がメダルを獲ったとき、誰もが国民としての誇りや一体感を感じるのではないのでしょうか。

私がマイナー競技を継続していく上で言いたいことがひとつあります。特に日本は「これからどうなるかわからない」競技には、お金を掛けないという現状です。JOCや国は、メダルを獲れると期待出来る競技にはどんどんお金を出してくれるのですが、マイナー競技の選手は生活費に加えて、競技を続ける資金を稼ぐためにアルバイトもこなし、練習時間の確保と資金繰りの両立に大変苦労しています。

マイナー競技への資金援助を削減しようと考えている人たちにもこの現状を知ってもらいたいです。 国内唯一の公式練習コースである、長野のスパイラルという施設は年間何億という維持費がかかります。そのためコースの存続について2~3年前に一度大きな議論になりました。そのときは僕ら選手は必死で署名を集めました。その後、なんとか「ナショナルトレーニングセンター」として登録が認められたので、国が維持費を出してくれるようになったのですが、それさえなくなってしまったら国内大会すら開催できなくなってしまいます。これからスケルトンに挑戦しようと考えている選手は、どうやって頑張っていけばいいのかわからなくなってしまうのではないでしょうか。長野スパイラルへの維持費の継続。これだけは続けて欲しいと願っています。

とはいっても、そのスパイラルのコースでの練習には 日本代表クラスでも1回の滑走に1500円かかるという現状です。もちろん資金援助を受けても私たち選手が良い結果を出せなければ、資金削減や廃止という声も出るとは思いますが、欧米諸国に比べて、勝てる競技ばかりにお金を掛けている日本では、自分たちがまず この厳しい状況の中で頑張らないと認めてもらえないのかなという思いはあります。オリンピック出場選手ではない私は発言権を持っていないですし、意見が表に出ることはないのですが、私の意見をこの場で聞きとっていただけたことが本当にありがたいです。

事業仕分けの発表があった後に、フェンシングの太田選手をはじめとする何人かの選手が その論議内容に対して会見を行ってくれたことで、私たちマイナー競技者の総意がようやく日の目を見た気がしました。マイナー競技を盛り上げようと第一線で頑張っている選手が、同じ考えをもっていることに勇気付けられ、頑張ろうと思いました。

今回、HDPスポンサー企業様に支援いただけたおかげで、国際大会で入賞をすることもでき、今後につながる素晴らしい経験をさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。今日は、ありがとうございました。

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※インタビュー記事の内容につきましては、2010年4月1日時点の情報となります。

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